×
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
twitterの調子が悪いので何を言っても気付かれない
ってハッシュタグがありまして。
無限に海中にいられるわけじゃないから、そこを夢に例える者もいるけど、だからこそ海中で強烈に生を自覚し、海中で仕事をすることで自分の存在と価値を認識する舳丸にとっては、現が夢という言葉は道理(詩人)
かーらーの、珍しく義舳の妄想垂れ流したので以下残骸
ってハッシュタグがありまして。
無限に海中にいられるわけじゃないから、そこを夢に例える者もいるけど、だからこそ海中で強烈に生を自覚し、海中で仕事をすることで自分の存在と価値を認識する舳丸にとっては、現が夢という言葉は道理(詩人)
かーらーの、珍しく義舳の妄想垂れ流したので以下残骸
しいていうなら「あの茹だるような季節、義舳という事実関係が雷を伴う夏の夕立のように一寸あった」という在りし日に思いを馳せるのは好きですね
義舳に関しては、事実関係があった一寸のネタ時には是非ともその時分に義丸の頬にも浅い傷があって欲しいし、それが今では完全に癒えて跡形もなく
近しい誰も覚えてなくて、義丸も舳丸も覚えてなくて、ああこれ舳丸視点だと尚良いんですけど 二人の関係も「と、いうような(むしろそのもの)」だったという程度に現時間軸では理解してるし ただそれを忘れた頃に急に思い出して「ああ、そんなこともあったね」みたいな短編は自分の中で一作仕上がってる。(頭の中で)
頬の傷が、舳丸と同じような位置に同じような形のものがあったのか、鬼蜘蛛丸と同じような位置に同じような形であったのか、で多少の何かが変わる(考えてない)、でも結局のこと、どちらも若気の至りでシコった中程度におさめて「忘れる」という体裁をとりつつも
記憶の鮮明さに長けてるのは舳丸の方だと素晴らしいなと私は思いますし(敬語)だからそういう時に件の傷が引き金となって出来事とリンクするのは必ず舳丸で、自分の傷と出来事は繋がっていない義丸とは記憶の置き方もちょっとずつ異なっててそのズレ方も関係の象徴みたいなオチ
PR